気まぐれ日記 2013年5月

2013年4月はここ

5月1日(水)「嫁姑の関係がなかった理由・・・の風さん」
 今回の帰省の目的は、遺品の整理の決着をつけることと貴重品を持ち帰ることだ。
 絶対に欲しい物を選別して、引っ越し業者や宅配には任せたくない品物を、代車のイプサムに乗せて帰る。
 年が明けてから4回帰省して、母の部屋を除いて、その準備はほぼできていると思った。
 朝食後すぐワイフと作業に取りかかった。ワイフは専業主婦の強みを生かして先ず台所。私は壁にかかっているお面の荷造りだ。続けて、額に入った写真。どちらも埃まみれなので、はたきで叩いて、ブラッシングをして、それでも落ちない汚れは濡れ雑巾で拭いたりもする。
 近所のスーパーで弁当を買ってきて昼食にした後も作業を続けた。
 私は母の手作り人形の荷造りに移ったが、ワイフが台所のタイルを磨き出したので、そこまでやる必要はないと言って、リビングに手をつけさせた。
 夕食は兄貴のところでごちそうになった。
 今夜もハイボールを飲みながら、ワイフと母の思い出を語り合った。多くの遺品が女らしい趣味(手芸など)に基づく母と娘の間の贈り物で、あらためてワイフが母にとって嫁ではなく娘だったことを知った。男の子が二人(兄と私)できたが、母は女の子も欲しかったのだ。最初の孫が女の子だったことで、母の喜びは頂点に達した。長女を溺愛した理由もようやく分かった気がした。

5月2日(木)「長女が合流・・・の風さん」
 長女がやって来る日だ。
 ワイフはリビングの整理というか欲しい物の選別をほぼ終えた。私は、置き物の荷造りに移ったが、いちいち埃を払ったり洗ったりしているので時間がかかる。
 昼食は亡き母と最後のランチをした中華料理屋に行った。ぜいたく趣味の母がこういった大衆食堂のようなレストランを利用した理由はよく分からない。
 長女が郡山駅に着く頃を見計らって迎えに出かけた。途中で代車に給油した。レンタカーを返すときに必ず利用するガソリンスタンドだ。リッター141円とまずまずの安さだった。セルフと同じ料金なので、窓拭きや吸い殻の掃除はしませんと丁寧に説明する店員は3人ともそろってシニアだった。なかなかうまいビジネスだ。
 実家へ戻るとき、昼食の中華料理屋を長女に示したら、亡き母と歩いて何度も来たことがあるという。ちょうどいい散歩コースにあったことがお気に入りだったことを知った。
 長女が来て遺品の整理に異変が起きた。形見の品だけでなく、生活必需品までゲットしようとするのだ。一人暮らしの若者の実態を見た気がした(笑)。
 今夜も兄貴のところで晩ご飯をよばれた。
 4月27日に、東京で亡き母の妹と会った話を兄夫婦から聞いた。私たちが知らない若いころの母の話を聞いた。
 祖父は茨城県、祖母は長崎県の出身で、7人兄弟の一番に下になる亡き母の妹以外は、すべて満州生まれだった。
 帰宅後、また飲むことにしたが、ワイフと長女は、遺品の整理で出てきた写真やアルバムを眺めながら、話が尽きなかった。眠くなった私は、女子会を放っておいて先に寝ることにした。

5月3日(金)「遺品の整理も荷造りも途中まで・・・の風さん」
 目が覚めたらゴミ出しに間に合う時刻だった。
 急いで可燃ゴミ6袋をゴミステーションに捨ててきた。ささやかな達成感を味わった。
 朝食後、昨日までに荷造りした段ボール箱を、ワイフとイプサムに積んでみた。今日も大量に荷物ができるが、全部は積めないことを悟った。
 昨夜の女子会で未明にやっと寝た長女が起きてきた。
 兄嫁も参加して母の部屋にある遺品の整理が始まった。今回のヤマ場である。兄は庭にある物置の整理だ。私は依然として置き物や壁にかかった絵の整理を続けていが、ペースはがくんと落ちた。疲労がたまってきたのだ。
 母の部屋の衣類の整理は困難をきわめていたようだ。
 遅い昼食は、珍しい和歌山ラーメン屋だった。福島県にとっては不謹慎だと思うが、名物の「つなみラーメン」を食べた。麺もだしもうまかった。デザートに「さくらアイス」を食べた。
 帰宅した私は眠くて小1時間ほど昼寝した。寒くて熟睡はできなかった。
 2階の物入れの整理と母の部屋の整理がほぼ同時に一段落し、全員で晩ご飯を食べにまた出かけた。
 物入れから古い写真が出てきたので、昭和34〜36年頃のものだ。皆で見た。
 帰宅し、我が家3人だけで片付けを再開したが、最後まで到達しないことは明らかだった。
 私は当初やろうと思っていた自分の荷物と亡き父の形見の荷造りどちらもできなかった。
 入浴してパソコンに向かおうとしたら、両手の指がひどく荒れていた。白くひび割れていた。汚れを落とすために何度も水仕事をしたからだ。
 明日、荷物がどれだけ積めるだろうか。

5月4日(土)「名古屋から爆走・・・の風さん」
 昨夜も遅くまで頑張ったが、思ったところまでたどり着けなかった。
 一杯会をやる元気もなく就寝。
 5日前、自宅を出発したときより早く、9時に出発したかったが、無理だった。イプサムに積めるだけ積むためには、ゲームのように、たくさんある小さな段ボール箱の配置を何度も何度も変える必要があった。
 結局、出発は、来たときより遅い10時45分になってしまった。
 苦笑する兄貴夫婦に見送られながら、思い出を削り取った実家を後にした。
 後席の長女は、まるで宇宙船のコックピットのように余裕のないシートに閉じ込められていた。
 幸い、東北道、首都高速と渋滞がなかった。東名に入ってもほぼ順調で、来た時に味をしめた新東名にハンドルを切った。混み出したのはそのあたりからだった。
 サービスエリアで遊びながらの復路だが、浜松は駐車場がなく、ノンストップでSAを通り抜けた。そして、再び東名に戻ったところから自然渋滞になった。
 すっかり夜のとばりが降りたころ、まだ遊び足りない我々は、オアシス刈谷に寄って、観覧車の最後の客になった(笑)。
 明日早朝からバイトの仕事がある長女の名古屋のマンションに直行して荷物をおろし、それからようやく自宅へ向かったのだが、アルバイトを終えてほぼ終電で帰宅する次女を駅まで迎えに行けるか微妙なタイミングだった。
 長女のマンションは名古屋駅に近いところにある。
 そこから最寄りの駅まで爆走した。
 30分で着いた。間に合った。まるでアメリカ映画のような走りだった。

5月5日(日)「お茶漬けがステーキに・・・の風さん」
 私が起きたのは正午である。昨日のドライブがいかに老体には過酷だったか想像できよう。ワイフは起きていたが、次女はもうバイトに出かけていて姿かたちもなかった。
 夕方、ワイフが買い物に出かけようとしていたとき、それは起きた。
 来客を知らせるチャイムが鳴り、ワイフが出て応対している。その声が聞こえてくるのだが、なんとなく、分かるような分からないようなおかしな声だった。
 来客の声は長女だった。今日は朝5時起きでバイトに出かけたはずだ。もう仕事が終わったとしても、なぜ我が家に現れるのか。
 まもなく、もう一人いることが判明した。
 なんと、京都にいるはずの長男だった。
 どうした、どうした、と私も玄関へ出てみると「結婚30周年、おめでとう!」と言う。
 お祝いの品を持って、サプライズのために、予告もなくやってきたのだと言う。
 いつまでも子供だと思っていたが、小憎らしいことをやれるほど成長したらしい(涙笑)。
 今夜は夫婦でお茶漬けでおしまいの予定だったが、急きょ、ステーキを食べに行くことになった。家族で何度も行ったことのあるファミレスだ。
 次女が帰ってきたのは午前零時近くで、それからケーキとワインで2次会となった。
 酔っ払った私は、当然のようにダウンした。

5月6日(月)「会社生活が再開?・・・の風さん」
 いつものように、仕事をたくさん残した状態で連休が明けた。イプサムにはまだ半分くらい荷物が積んだままだ。
 定例会に出席のため、製作所へ出張した。これからやることがたくさんある。お土産を渡すのもその一つだが、製作所に着いて、突然、食べ物のお土産には賞味期限があることに気が付いた。
 恐る恐るチェックしてみたら……、今日だった! これは我が家で食べよう。
 それにしても朝から空が晴れ渡り、気温がぐんぐん上昇しそうだった。
 そのような中、カリチューに寄ったり、郵便局で振り込みをしたり、本社で人事部にちょっと顔を出したり、再び製作所に戻って会議に出たりした。そして、来月のビジネススクールの科目エントリーもし、今夜は「戸締り当番」のおまけまでこなして、ようやく帰宅した。なーんだ、ほとんど仕事してないか。
 イプサムに積んだ荷物の中にパラゾールがたっぷり入っていたので、車内はもとより、こっちの体まで薬臭くなっていた。これでサボりの罪は清められた、と(笑)。

5月7日(火)「平凡な日はあり得ない・・・の風さん」
 今日、ケータイで奇妙なことがあった。
 会議中に高校の同級生から電話があったが、出られなかった。それで、会議が終わってから、こちからかけたら出てくれなかった。
 しばらくして、向こうからかかってきたので、「何の用事で電話してくれたの?」と聞いたら、私からの電話があったので、折り返しかけたのだという。
 同級生は私にかけた事実はないと主張し、しかも、履歴には、私からの電話と、今話しているものしかなかった。しかし、私の電話には、確かに最初の着信があり、私がかけなおした後、もう1本、私が出られなかった着信まで記録されていた。
 最初にかかったとき、液晶画面には同級生の名前が出ていたので、もしあの時応答していたら、私は誰と話をしたことになったのだろう(恐怖)。
 会社から帰ったら、予定通り、物置が設置されていた。
 何となく浮かぬ顔をしているワイフと一緒に、早速、現地確認。
 ワイフの気持ちが分かった。展示品と違って、品質が悪い気がした。やたら隙間が目立つのだ。それに、床部がべこんべこんしている。
「地面の草を刈ってないことを非難するので、すぐに草を刈ったわ。だって、工事を延期しましょうか、なんて脅すんですもの。それに、近い将来、位置をずらすかもしれないから、アンカー工事はしたくないって言ったら、すごく不機嫌な顔して、風が吹いて倒れても知りませんよってまた脅すの。だから、やってもらったわ」
 どうも私はお金の使い方が下手である。安物買いの銭失い、というやつだ。
 家の中に入ったら、天井付近を飛び回る虫が出現した。
 シーリングライトにとまったときに観察すると、刺さないミツバチつまりアブの一種のような感じだった。私が幼児のころの友達である。
 元気に飛び回っているので、外へ逃がすのは手こずりそうだったが、昔の友情でなんとかなるかと期待しつつ、ワイフからはたきを借りて、そっと近づけたら、そのはたきに止まった!
 そのまま、そおーっと、サンルームを通って、ドアを開けて、外へ放った。
「あなたは、カンダタ(蜘蛛の糸の)みたいな人だわ」とワイフに感心された。

5月8日(水)「定年へ向けて・・・の風さん」
 10月の会社の定年到達へ向けて、色々と準備することがある。会社の福利厚生制度の適用方法に変化がある。このまま行くといったん退職というか退社することになるので、保険や年金についても、色々と考えなければならない。
 まさか定年まで会社勤務を続けると思っていなかったので、準備の準備がまったくできていなかった。それであたふたとしている。
 結局、自分一人で解決できることはなく、先ず先輩にアドバイスしてもらい、それから細かい点をワイフと相談して決めている。
 今日は旧職場へ出社し、勤労関係の仕事をしている書記さんに聞いて、一つ解決したことがあった。

5月9日(木)「第二の人生・・・の風さん」
 研修所に出社し、会議に出た。
 今日も午後有休なので、昼休みになってから本社へ移動して昼食を摂り、愛工大本山キャンパスへ直行した。非常勤講義のためである。
 高校と中学の同期会兼還暦祝いが今年9月某日で重なった。もしかして小学校も同じ日になるのではないかと心配していたが、友人からメールがあって、6月におこなわれるという。私の出席できない日だった。残念だが、9月に秋田へ行ったとき、できれば寄って来ようと思う。
 10月の定年まで「待ったなし」の行事は多いが、それだけやっていればいいわけではない。その後のプランが現実味を帯びるようにすることも大事である。できれば、今の会社以外で第二の人生をスタートさせたい。

5月10日(金)「日本経営工学会の夜・・・の風さん」
 電車で旧製作所へ出社し、午後から名古屋へ出張した。
 日本経営工学会中部支部の特別講演会の聴講で、2年前に私も作家として講演させてもらったことがある。社会人学生以来、顔見知りも多い。
 今日は名城大学の先生が、中部地区の中小企業という視点で、日本の自動車業界の現状(特に国内での戦略)を解説してくれて、非常に勉強になった。逆にいえば、業界に身を置いておきながら、やはり私はまだまだ無知の部類だということだ。
 懇親会では、ちゃっかり作家に返信して近況を語り、『江戸の天才数学者』を販売した。
 お開きになった後、数人で2次会の席を設け、入院中の大野先生のお見舞いのことなどを話し合った。その大野先生から突然電話がかかってくるというハプニングもあった。
 明日からまたビジネススクールが始まるので、帰りの電車でも予習にいそしんだ。

5月11日(土)「あの時は骨折だった・・・の風さん」
 昨夜来の雨が上がっていなかった。
 帰宅するときには晴れていることを期待して、傘を持たずに出発した。
 初日から徹夜明けでは2日目がもたないことを経験的に知っているので、睡眠時間は5時間を確保した。
 4月入学生と下から上がってきた学生も参加していて、新鮮な印象のある講義だった。
 最後の期になる私は、取得すべき単位数も少ないので、この半年間、マイペースでやろうと思っている。だから、精神的には余裕があった。
 一方で、受講している学生数が30人弱ということで、発言の機会が多く、参加している気分になるが、それだけ内容が問われるわけで、決して甘くはない。
 期待に反して、帰宅時も小雨が降っていて、駅まで歩くことはしなかった。
 入浴時、2か月前に自宅の階段でこけて痛めた左のすねを、無傷の右のすねと入念に触診比較してみたら、骨に段差があることが分かった。
 どうやら、あの時、骨折か少なくとも骨にヒビが入っていたらしい。とっさに受け身をして階段の踊り場で転がったが、しっかりダメージを受けていたのだ。

5月12日(日)「モンゴルの星・・・の風さん」
 昨日は「数学史名古屋セミナー」、今日は「近畿和算ゼミ」が開催される日で、土日のビジネススクールに通っている私は、これまでほとんど出席できていない。
 しかし、あと半年で、なんとか卒業できれば、和算に関する最新情報が得られるようになる。それまでの我慢だ。
 今日は雨が上がって、また気温が上昇しだした。
 完ぺきではないが、最低限の予習はできているので、あとは本番である講義のときに、積極的になるべく他の受講生に役に立つ発言をしなければ。
 他の受講生といえば、今回のクラスは女性の比率が高い。全体の2割ぐらいだ。ビジネススクールなので、当然よく発言する。勉強した形跡も濃厚だ。そして、面白いのは、個性があること。自分の意見を言っているらしく、個性が反映されている。
 経営者といえど人間だから、経営方法には個性が反映される。ピンチのときほど、全人格を賭けて対応するはずだ。
 地下鉄の駅までの帰り道に、若い子と一緒になった。モンゴルからの留学生だという。
 私にとってはモンゴル人とは初めての出会いである。「日本人のルーツの国から来たんですね」と生物学的意見を述べたら、「兄妹かもしれませんね」と応じてきた。すごい。よく知っている。
 日本に来て5年目で、その前4年間母国で日本語を勉強してきたと言うだけあって、非常に日本語が堪能で自然である。大学院の1年だろうから、23歳に違いない。
 あとから合流した大阪からやってきた受講生の話では「彼女は、日本とモンゴルのかけはしになりたいと言ってましたよ」とのこと。
 ただ者ではなかったのだ。
 今日の名古屋の日中の最高気温は29℃まで上がったそうだ。確かに、暑い(熱い)日だった。

5月13日(月)「生命保険の見直し・・・の風さん」
 旧職場に出社し、途中、本社を往復もした。
 仕事の合間に、社内生命保険制度について、業者から色々と教えてもらった。質問事項は、昨夜、ワイフと相談してあった。ポイントは、この有利な社内制度が、完全に退社した後も有利なのかどうか、ということだった。
 それは確認するだけのことだったが、実際は、もっと多くの貴重な情報が得られた。
 社内生命保険制度の弱点を教えてくれたのだ。
 これは社内生命保険制度がN生命の商品で、社員という大きな顧客を得て社員に有利な商品を提供する代わり、その弱点を補うN生命の商品も売り込もうという、したたかな戦略が根底にあるからだろう。
 ま、魂胆はともかく、弱点は3大疾病に関するものだった。
 最後に死ぬのは3大疾病が原因だろうが、近年の医療現場の実態は、いつまでも入院状態にはさせてくれない。自宅療養や通院による治療、リハビリといったものが長期にわたる可能性が高い。そうなると、自宅のリフォーム(バリアフリー化)、車椅子の購入、通院費、高額医療費の補てんのために、3大疾病になったら即保険金がもらえる仕掛けもしておく必要があるというのだ。1日1万円の入院費が出ても、安心はできないのだ。
 それから、介護費用も、認定レベルが3という条件があって、なかなかもらえないこともあるという。
 これまで一家の大黒柱として働いていたときは、いざというときのために、死亡時にン千万円という保険金をもらえるようにしていたが、これから先は、死亡時には、せいぜい葬式代程度をもらえればOKとしておいて、掛け金は、自宅での不自由な生活のために備えるべきだということだった。
 頭の痛い話だが、今こそ真剣に考える時期のようだ。

5月14日(火)「熱い1日・・・の風さん」
 今日の名古屋の予想最高気温は32℃だという。おかしな天候が続いている限り、3.11のような災害が起こる恐れがあるような気がする。
 午前中、先輩講話の打ち合わせをした。不肖わたしが講話をやるのである。
 昨年、女子大で学生向けにやった講演を紹介したら、「そっくりこのままでやりましょう」ということになった。
 驚いたが、私の会社人生も入っているし、何と言っても、そんな講演を女子大向けにやっている私に対する興味と疑問が湧き上がって、大いに盛り上がり、先輩講話の意味があるのではないかと言うのである。
 私にとっては、準備が楽なので、挑戦することにした。
 31.5℃まで上がった土地をおさらばして帰宅した。
 夕食時、突然大野先生から電話があった。
 自分は無理していたからガンになった。私も同じように無理しているからガンになる恐れがある。これから無理をしてはいけないと言われたが、「それは無理です」とお答えすると、それなら徹底した検査を受けなさいと言われた。ご自分のことより弟子の身体の心配をして電話をかけてきたお気持ちを考えると、何ともやりきれない気持ちになった。
 午前0時から、ワイフと定年記念旅行の相談をしたため、また就寝が遅くなった。ワイフが一度は行ってみたいと言うハウステンボスで計画を組んでみたら、べらぼうな費用になってしまった。
 なんか気温以上に熱い(暑いでなく)1日だった。

5月15日(水)「クールダウン・・・の風さん」
 朝起きるのがつらかった。
 やはり無理しているのだ。
 大野先生のお気持ちを裏切らないようにしなければ…。
 それで、半分インチキなのだが、家から近い旧職場へ出社した。10分余裕ができた。実は、これは大きい。
 旧職場にも先輩がいる。その先輩は、今年末、63歳で退職することにしたと言う。本人はまだ余力があるが、職場が先輩を必要としていないと言う。
 分からないでもないが、ひどくもったいない話である。私欲のない人格者なので、余計釈然としない。
 夕食時、ハウステンボスのHPも確認した上で、昨夜立てた贅沢なハウステンボス旅行をとりやめた。

5月16日(木)「悩ましい先輩講話・・・の風さん」
 研修所に出社し、開催されている講義を皆で久しぶりに聴講した。
 講義が終わった後、全員で意見交換をしたが、特に「品質に対する考え方」という点で、さまざまな意見が出て、勉強になった。
 社内外の講義や講演を聴くのは非常に楽しい。知的なことに触れて感動するのは、私の性格かもしれない。
 世の中知らないことが多過ぎる。
 それで、何でも素直に吸収しようとするのだが、情報過多で情報戦の時代でもあり、簡単にデマを見抜けない。
 一生かけて勉強しても、やはり限界があるだろう。
 続けて、自分の仕事での打ち合わせがあった。近々、先輩講話というのをやらせてもらうのだが、どのようにやったらいいのか、実は、内心複雑である。なぜかというと、未来を語る自信がないので、過去の事実の中から選択して語るのだが、私の選択の好みは、現代に会わない気がするのだ。
 私の過去は、客観的にみれば、無我夢中であり、目的のためには手段を選ばなかった、というのが最も当てはまる。
 そんなこと、後輩たちに語って意味があるのか。きれいごとだけ選んで語るなんていやだ。
 結局、講話のあとの質疑応答を重視することにして、講話そのものは、昨年、地元の女子大で話したものを、ネタをばらして、そのままやることにした。講演タイトルは皮肉だ。「一生かければ何でもできる」(本当か?)

5月17日(金)「ミッシェルの後継車見つかる・・・の風さん」
 名古屋でオークションのある日だ。
 ユーノスロードスターが出品されることは事前に知っていた。希望通りではないが、かなり期待できる情報だった。
 昼休みに電話があって、実車確認結果を聞いた。平成7年5月初年度登録の、18歳である。ミッシェルが平成9年7月初年度登録なので、2歳上の老人だ(私と同じか)。走行距離は14万3千キロで、ミッシェルの19万2千キロより約5万キロ少ない。オートマでなくミッションで、色は紺。ここまでは、ほぼ私の狙い通りだ。問題は、2年古い分、だいぶ痛んでいるらしい。が、ミッシェルといいとこどり(よりマシな部品を選択交換)し、修理を施せば何とかなりそうだったので、セリに参加するように要請した。
 帰宅途中に電話があった。無事にセリ落としたという。
 金額を私は聞かない。
 とにかく、これでひと安心だ。
 日曜日のビジネススクールで個人プレゼンをやらねばならない。その準備のために、就寝は午前3時40分となった。

5月18日(土)「発言不調・・・の風さん」
 午前7時20分起床。睡眠時間は3時間40分。
 いつものように電車で名古屋へ向かい、伏見キャンパス近くの売店で、今日の昼食のパンとコーヒーを買い(予算400円)、教室にすべりこんだ。
 クラスディスカッションとグループディスカッション+グループ発表という、ハーバードスタイルの講義が進んだが、休みのない日々の連続上に、寝不足も重なって、まともな発言ができなかった。
 明日の準備ができていないので、講義終了後すぐ帰宅した。
 夕食後、ダウンした。
 目が覚めたら、幸い、午前1時だった。

5月19日(日)「ほんまもんの起業家?・・・の風さん」
 今日提出するレポートに全力を投入したが、中途半端な内容のものを作成するだけで精一杯で、朝食もそこそこに出発した。
 つまり、今朝の1時から全く寝ていない。
 行きの電車でも、資料を読むことに専念していたので、これはもう専念というより執念か。
 教室に入って、素知らぬ顔をしてレポートを提出。こういうのを「年寄りの冷や水」という。
 午前中は、昨日と同様、まともな発言ができなかった。
 午後になって、ほぼ全員の個人プレゼンとなった。それぞれ起業シナリオというか自分自身のオリジナル事業計画を発表するのである。
 私の場合、最後は作家としての人生を全うするつもりなので、これまでの正直な人生を語りながら、MBA取得後、スムーズに作家一本の生活へ入っていく・・・といった内容の話を面白可笑しくした。
 受けた! でも、本当の話だったので、単なるお笑いでなく、インパクトもあったと思う。
 ちゃっかりサイン本『江戸の天才数学者』を5冊持ってきてPRした。
 打ち上げを兼ねた懇親会でも作家論をぶったので、5冊完売した。
 採算はとれていないが、いちおう起業家の中に分類されるかな?
 帰宅し、今夜こそ、本当にダウンした。

5月20日(月)「古いだけのことはある・・・の風さん」
 会社の帰りにカリチューに寄って、ミッシェルの後継車を見てきた。
 ミッシェルと2台並べてあり、粋なはからいに感激した。
 先ず、ひと目見て気に入った。十分な古さ(笑)。先妻を超える後妻は、やはり先妻に失礼だろう(変な理屈)。
 ドアミラーが電動式でないことと、ラジオアンテナも手動式なことが、ミッシェルより劣っている。
 後継車は少し改造されていた。ボンネットを開けると、エンジンにタワーバーが装着してあった。補強効果より高回転域でのツインカムサウンドに悪影響がないか心配だ。後日、高速走行で確認してみよう。ちゃちなラジエーターフードも装着してあった。もしかするとこれは効果があるかもしれない。エキゾーストマニホールドも変更されていた。
 改造はそのままにしておくとして、さっそく「いいとこどり」の相談。
 シートは裂けていたので、ミッシェルのシートと全交換。タイヤもミッシェルの方が新しかったので、ホイールごと全交換。幌もボロだったので、ミッシェルのものと交換。……。
 あと、ナビやETCを載せ換えて、ボンネットの再塗装、亀裂の入ったダッシュボードを交換。……。
 ラフ見積もりを聞いたら、想定額をかなり超えてしまった。

5月21日(火)「無能の証明睡眠不足・・・の風さん」
 昨夜というか今朝の睡眠時間は2時間半だった。
 何をしていたかというと、CV作成に挑戦していたのだ。
 CVとは「Curriculum Vitae」つまり履歴書のこと。オーストリアに出張中の中野先生から、セミナー参加者の紹介をしたいので、CVがあったら送ってほしいというメールが送られてきた。
 何でも挑戦するのが大好きな私は、俄然やる気を出した。
 しかし、簡単にはできなかった。
 ネットで調べると、MS OFFICEのHPにひな形があることが分かった。ところが、学者向きのテンプレートがダウンロードできなかった。
 止むを得ず、ネット上に公開されている某氏のものを参考に、自分流のものをこしらえた。
 大変だった。自慢話にしたいのだが、とにかく英訳で手こずった。学会賞の正式名称も困った。
 ま、とにかく、完成するまでやるぞ、とまるでビジネススクールの宿題のように頑張って、何とか送付したのである。
 今日は眠くて死にそうだったが、午前中の会議に出た後、昼飯抜きで午後の自分主催の会議を運営し、議事録を書き上げたところで、さっさと帰宅した。
 中野先生からOKの返信があったので、救われた。

5月22日(水)「記録的暑さ・・・の風さん」
 午後、名古屋へ電車で出張した。
 いよいよ今年会社の定年をむかえるので、社外とのお付き合いも方向付けが必要となる。その一環だった。
 用事が終わったあと、名古屋まで来たので、長女のアパートまで届け物を持っていくことにした。留守でもポストに入れておけばいい。
 いつもはマイカーで行くのだが、歩いて行ける距離だろうと思って、記憶頼りに歩き出した。
 今日はからりと晴れていて気分は上々だったが、日差しは強かった。
 ネクタイを外し、ひたすら歩いた。
 歩いても歩いても記憶にある街並みに着かなかった。
 既に地下鉄でひと駅分は歩いていた。
 さすがに通り過ぎたと思い、戻りかけたら、不思議にもiPhone5にナビ画面が出た。「もっと行け」と言う。
 それを信じたのがバカだった。
 結果として、ますます遠くへ行ってしまい、目的地はとんでもない地域だった。
 再度戻りかけたとき、長女から電話がかかってきた。仕事が一段落したところだという。
 結局、電話をかけっぱなしにして、長女の道案内でたどり着いた。
 やっぱり通り過ぎていた。
 帰りは地下鉄に乗った。
 今日の日中の名古屋の最高気温は、31℃だった!

5月23日(木)「講義でパニック・・・の風さん」
 毎週の定例行事化しているが、午前中は研修所で仕事し、午後は半日有休。
 本社で昼食を摂ってから、代車で本山キャンパスへ。
 今朝の睡眠は午前1時45分から5時15分までの3時間半だったので、眠い。いや、眠いという問題ではなく、こんなことでは入院中の大野先生に叱られてしまう……が、しかたない。実力不足なのだ。
 寝不足の原因は今日の講義の準備だったが、想定外のことが起きた。
 講義でエクセルを用いた計算を学生たちにやらせている。文科系の子も多いので、ちゃんとやれているか、席をまわって学生のパソコンをチェックして腰を抜かした。OSはウィンドウズとマックと2種類あるのは承知の上だったが、エクセルのバージョンも2007、2010だけでなく、留学生は中国語バージョンを使っている子もいた。ソルバーがアドインされていないパソコンもあって、私自身がパニックに(笑)。
 すべて来週の宿題にして撤収。
 パソコンスクールじゃないのだから、とは思いつつ、しっかり教えたい気もするし……。
 帰りにミッシェルの後継車に装着したいレーダー探知機の下見をしてから帰宅した。
 パソコンの宿題は、愛工大の田村先生に相談し、テキストを基本にし、それ以上は、学生の責任とするようにアドバイスされた。なるほど。

5月24日(金)「花キューピット・・・の風さん」
 今日もあちこち飛び回って、多忙な1日だった。定年を過ぎたら、もうこんなじゃじゃ馬的行動はできないだろう。
 とはいえ、今日は上司との面談もあり、来年3月までの見通しについて説明し、基本的に了承を得たので、着実にこなしていくしかない。
 来年の4月以降がどうなっていようと、それは所詮自分の身の丈だということだ。
 来月の1日から次女の初めての個展が始まる。花キューピットでフラワーアレンジメントを手配した。カードの文面も真剣に考えた。
 元々次女は写実的な絵画に才能があると私はにらんでいる。ところが、今回の個展は、写実画とは正反対の抽象画だということで、ビックリした。これまで次女の抽象画を見せてもらった記憶がない。しかも、自分でたどり着いた結論でなく、他人の一言がきっかけになったらしく、非常に心配である。

5月25日(土)「大判焼きの誘惑にも負けず・・・の風さん」
 ケース作成のための長沢ゼミのある日だった。ケース本文は少ししか進んでなかったが、一昨日、とりあえずメール送信した。
 経営者を目指すビジネススクールなので、今の私のように超多忙で、あらゆることが中途半端になりがちな状態は、良い勉強と訓練になる。
 今朝は、ケースに添付すべき参考資料候補を用意して、名古屋に出かけた。
 ゼミは個人指導で、1時からだったので、ビジネススクールのある地下鉄の駅で、おにぎりをほおばってから出陣した。
 参考資料の説明だけで、たっぷり1時間かかってしまった。アドバイスを頂戴して退室した。
 大きな前進はないが、1ミリ以上は進んだろう。
 もうすぐケース提出の1次締め切りがやってくる。
 帰りに、名古屋駅で大判焼きを買いたくなったが必死にこらえた。

5月26日(日)「変幻自在・・・の風さん」
 今日は、ワイフが主催するトールの体験教室に、職場の女性が参加する日だ。3回目の人もいるが、心配だ。
 しかし、その前に、私は町内会の草取りをしなければならない。
 6時に起きて、7時から、たっぷり1時間半、大汗をかきながら草取りに励んだ。
 体験教室が終了する昼前に会場に行ってみると、意外や意外、順調に進んでいた。そこまで無駄口もたたかず、必死に、真剣に取り組んでいたという。
 体験教室をパスした一人がやってきたので、自慢の海を眺めに誘った。
 今日は青空が広がっていて、海は紺碧、バカンス日和だった。
 ほぼ予定通りの時刻に終了したので、3台のクルマでランチのレストランに案内した。海岸に建っている和風食堂だ。
 わーわー言いながら釜飯ランチを食べたが、トールをやっていた3人は、かなり体力を消耗していたらしい。いやー、お疲れさん。
 午後の観光は、私の立てたお勧めコースで、ソニーの創業者である盛田昭夫さんが第十五代当主として紹介されている盛田酒造の「味の館」である。
 しっかり勉強させた後は、常滑にある世界のタイル博物館。穴場である。
 ここでしっかり芸術に触れさせようとの親心だったのに、元気が戻った女性らはジョークの連発(-_-;)。
 これでは芸術の神様からどんな罰を与えられるかわからない。
 見学を切り上げてスイーツタイムに変更した。
 解散後、近所のホームセンターで水洗トイレの部品(球形のゴムの栓)を買って帰宅。
 手を真っ黒にしながら、水漏れが続いていた1階のトイレの修理をした。
 今日は草刈り農夫から始まって、観光ガイド、幼稚園の先生、そして最後は水道屋になって1日を終えた。

5月27日(月)「連日の体験教室?・・・の風さん」
 電車で本社まで行き、社有車を借りて名古屋駅へ。
 今日は旧職場が主催するイベントがあり、VIPを招待しているのだが、私が担当するVIPは正真正銘私自身がお世話になっている大切な方なので、公私含めておもてなしをすることにした。
 東京からみえるので、名古屋駅でピックアップする約束をしたものの代車のイプサムではあまりにも失礼な気がした。それで、本社でカムリを借りたのだ。ふだん高級車を嫌っている風さんだが、こういう場合はちゃんと高級車を使う。フレキシブルな性格だ(笑)。
 名古屋高速を走っていても、高級車は安定している。
 無事にピックアップできたので、かねて計画したとおり、カムリの進路は南にとった。名古屋高速そして知多半島道路を南下した。昨日はからりと晴れた上天気だったが、今日は薄曇り。それがちょっと残念。
 ワイフの体験教室の終了間際に間に合った。かねて話題にしていた現場をお見せすることができた。
 その後、近くのレストランで昼食。近隣の海で穫れた食材が利用されていた。
 そして、我が家へ案内し、やがてワイフも合流して、ワイフのトールペインティングの工房であるログキャビンを見学。VIPも絵を描く方なので、話は盛り上がった。
 これで、今まで何度か話題にのぼっていたトールの話が、すべて現実のものとしてVIPに伝わったと思う。
 それからカムリで旧職場に案内した。
 ここまで実に長い遠回りをしたものだ。
 旧職場でも現場見学と会議があり、その後、懇親会場へバスで移動となり、私はカムリを返すため、単独で本社へ向かった。
 懇親会後は、一緒にバスでJRの駅まで向かい、最後は名古屋駅でお別れした。
 少々引っ張り回し過ぎだったかもしれないが、これが私たち夫婦の精一杯のおもてなしだったので、お許し願おう。

5月28日(火)「シフトノブが届く・・・の風さん」
 研修所に出社した。
 昼休みに五大路子さんから電話があった。来年、長谷川伸をテーマにしたお芝居をやるそうで、その相談だった。楽しみである。絶対に鑑賞に行こう。
 ビジネススクールでは、あと3科目受講しようと思っていたが、そうなると休みなく連続するので、今回は無理しないことにした。真ん中の受講を注視して2科目にする。
 新しいクルマ(と言っても2歳古くなるのだが)のために、ネットで注文したシフトノブが届いた。だんだん気分が盛り上がってきたぞ。
 今度の日曜日に大野先生のお見舞いに行こうと思い、今夜、病室の先生と電話で話してその許可を得た。心配だ。

5月29日(水)「これが平凡な日常かも・・・の風さん」
 昼前に本社で会議があったので、ついでに色々と用事が済ませられると喜んで出かけた。
 ついでがなければ、出席に値しない会議だった。
 しかし、もしかするとそれは、私が年老いたせいかもしれない。老人はすぐ「今の若者は……」と言いたくなるものだから。
 昼食を元部下たちと楽しく摂り、研修所に戻る途中でも雑用をこなすことができた。これで出かけた甲斐があった(気がした)。
 休日にまた名刺印刷を発注してあったが、印刷所に電話で確認したら、週末には受け取れるという。
 戸締まり当番だったので、少し帰宅が遅くなった。

5月30日(木)「今度は会社に腹を立てた風さんの巻」
 午後有休にして、前半戦最後の非常勤講義に出かけた。
 今日は工場見学の日程を確定する日だったので、本山キャンパスに着いてから会社に電話で状況を確認すると、第一候補日は既に予約が入っているという!
 2ヶ月前に予約を入れることになっているのに、なぜ? と質問すると、学校からの申し込みは半年前から受け付けるとのこと。そんなことホームページに書いてないじゃないか! と喉まで出かかったが、文句を言うのはすべて終わってからにしよう。
 学生たちにお詫びをして、再度、日程調整をした。どうしても試験期間中になってしまうので、一か八かの日程になってしまった。再び会社に対して腹が立った。しかし、我慢して、新日程で仮予約した。
 貴重な90分のかなりの時間が、工場見学日程の再調整に使われたため、昨夜ほとんど徹夜で準備した資料がだいぶ残ってしまった。後半戦で使うしかない。
 帰宅したら、ちび助の調子がおかしい。食欲がなく、何度も戻している。胃の中は空なので、胃液を吐いているだけだ。以前にも同じようなことがあったが、何か持病があるのだろうか。
 予約してあった早割航空券のカード決済をしたので、来月末の長崎旅行が確定した。名目は定年記念旅行。
 徹夜した翌日なので、さっさと就寝した。

5月31日(金)「今の若い者は・・・の風さん」
 夕べ早く寝たので、今朝は早起きした。
 心配していたちび助の様子を見ると、全く治っていない。
 出かける予定のワイフに代わって、僕が有休をとってちび助を動物病院に連れて行ってやるよ、と提案したら、ワイフの方が外出を止めると言い出した。
 余裕のある出社になったので、途中、郵便局で郵便物を3通投函できた。早起きは三文の徳か。
 午前中に名刺が届いた。作家の名刺と一人二役の名刺である。
 いよいよ新しいクルマが来週手に入るので、任意保険の車両入れ替えを電話とファックスで申し込んだ。
 明日から次女の初めての個展が始まる。
 ワイフを途中の駅でひろって、二人で名古屋造形大学へ向かった。個展で展示する絵を名古屋のカフェまで運搬するのである。
 午後6時半に着いた。ここへ来るのは2度目である。
 代車のイプサムがまた役に立つ。
 なるべく一人でやりたい次女は、ワイフの手伝いを拒絶した。
 十数点の抽象画を積み込んで、カフェに着いたのは午後8時過ぎだった。
 カフェはまだ営業中で、ここでも人手を借りたくない次女は、私たち夫婦を外へ待たせたまま、中でオーナーと二人で飾り付けをやっていた。
 1時間も待たされたわけだが、次女もオーナーも未熟さが露呈した形になった。しかし、文句を言うのはやめることにした。
 いつだって年寄りから若い人を見れば、未熟者に見えるのだ。
 今の若い者は……、といった風に。
 夜もだいぶ更けてから帰宅した。
 明日はまともな時間に起きられないだろう。

2013年6月はここ

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